忽然前辈——《中国思想》编委会会议


    陈贇君等一干海上朋友周末来北京,意图是为他们即将在华东师范大学出版社编辑的《中国思想》辑刊和丛书做一个编委会的会议。

    其实,我以前也知道他们在做这件事,因为不断有朋友提到,一个月前与赵璕君等前去上海开一个五四的会议,回来的途中知道他们(包括文明、海裔)等人策划之大概,我推断:这大概是年轻人的一种基于理想的实验方案

    是实验就好,但是联想到我们自己编辑《中国儒学》之艰难,深知做事之不易,却是是衷心希望他们有一个好的结果。

    不过,他们到北京的时候,联系一见,陈君却解释说,是因为我是“前辈”,不便惊扰,所以一直未有联系之类,我了解这是客气话。但是忽然觉得自己的确是“老”了。

     我一直觉得中年是一个很无趣的年龄,首先,既然已不再年轻,不能再为自己的学无所成找一个能够说服自己的理由,但是又没有到倚老卖老,靠年资混日子的时候。

     在他们的强邀之下,我半推半就地就答应下。私意还是想了解他们的更为详细的行动方案。

     果然,昨天(11月8日)在光明日报社开会的时候,我发现,我和梁涛兄已经是与会者之最高龄者。看着别人,真还不知道把自己是往年轻人那边靠,还是往老成一点的“装扮”。

 

      孔老夫子说,四十不惑,那大概是牛人的境界,对于我,四十正惑呢?

     

     不断有不怀好意者,让我学写字,说万一有一天有人让我题个字之类,会拿不出手。这样的未来其实不在我的考虑之内,因为,人文学者本来应该“素心”。

     不过,这两天在网上却看到了我的书法作品,是上半年我们去东京大学开会,会散的时候,举办者希望留点字做为纪念。同去的北大的王守常老师,据“自称”他的字已被行家肯定,我们则是无知无畏,所以勉强为之。不料小林康夫先生却把我们的字拿出来“显”,可谓“居心叵测”。不过我也想将他转帖在这里,好让某些好事者告诉该如何改进。

     遗憾,陈璧生君的字没被贴上,我认为他写得比我好一些。起码有“体”。

 

附,小林康夫文:

 春、つづき(杜子春)

前回のブログを書いたその日、「春」でもうひとつ驚き、感動した。中島さんたちの「中国伝統文化が現代中国に果たす役割」の国際シンポジウムが終わって、UTCPのオフィスに参加者のみなさんがいらっしゃった。実は、前日よりこのために、わたしは、墨と筆と紙を用意しておいたのだが、そこで、さあ、みなさん、お題は「春」、どうぞ記念の一筆をお願いしたい、と。

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そうしたら、王守常先生(北京大)、一瞬息を整えて、拡げた紙に「春到人間草木知」と墨痕も鮮やかに。いや、その字の速いこと、まるでダンスを見ているような筆の動き。筆順だってまったく独自の境地。わたし、ほんとうにあっけにとられて呆然。感に堪えかねて思わず、すごいねえ、と叫ぶと、横に立っていたジョエル?トラヴァールさん、だって王先生、文化大革命の嵐を書を書くことでじっと耐えたんだもの、とわたしに囁く。わたしは、良寛さんの言葉じゃないが、書家の書はあまり好きではないが、王先生の書は、そういった類の書ではなく、まさに中国文人の「常」の「書」。なんともいえない深さがあった。この書はUTCPの宝。そのうち表装して研究室にかけよう。

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でも、続いて、干春松先生(人民大学)もさらさらと筆をとる。これも名筆。いや、中国の若い研究者たちもつぎつぎに楽しそうに詩句を書いていく。「中国伝統文化」の華やかなパフォーマンスに日本の研究者もフランスの研究者も脱帽!

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